郡山市の親族と再会し、お墓参りと街の状況を確認した翌日、ボランティアに参加する為、いわき市へと向かいました。今回は、
福島県社会福祉協議会さんのプログラムで名鉄観光さんと福島交通さんが郡山駅からいわき市小名浜の派遣現場までバスでピストンしてくれます。(ボンティアバスについては
コチラの記事をお読みください)
郡山駅前の様子。人通りが少ないのが気になります。。。
こちらは休憩中の写真ですが、このような
大型バスを運行していただきました。全国各地からたくさんの方が集まり、福島県内の方はもとより、遠くは福岡県から駆けつけた方までも・・・東京の方が一番多かったようですが、印象的だったのは、小学校や幼稚園の先生が多かったこと。被災地の子供達が自分の生徒と重なってしまうのかな、じっとしていられず駆けつけたという感じでした。その他にも、中高生のお子さん連れで参加の方や、関西からも大阪の看護士の方が来られていました。みんな
素敵な方達ばかりです。
郡山インターから小名浜へ向かうバスの中、社会福祉協議会のコーディネーターの方から本日のニーズの報告と活動場所、注意事項についての説明がありました。ボランティア保険の確認(
ボランティア保険については
コチラの記事をお読みください)
活動は基本的に肉体労働なので、無理をしないこと、こまめな休憩、釘や瓦礫への注意、防塵マスクの着用など・・・。またこれから向かう現地の様子や写真の撮影についても説明がありました。いわき市は今なお余震が多く前日も震度4と大きく揺れています。沿岸部なので二次災害とならないように十分な注意が必要です。
◎
ボランティア活動の装備については、
コチラの記事に詳しく書いております。
◎今回作業した下神白地区。黒枠の約200m程が我々の分担です。
自然科学研究所の社長さんらは台車や一輪車、トイレをお借りしました。労いの言葉までいただきありがとうございました。
カネサン蒲鉾の社長さんにも拠点を提供していただきました、60歳過ぎて槍ヶ岳に登る素敵な方です。津波に飲まれたご友人の話、忘れません。工場が復活したら製品購入させていただきます!
この日はたまたまライターの方が取材に同行されていました。忙しくて殆ど写真を撮れなかったのですが、当日の作業の様子を福島県災害ボランティアセンター
「はあとふるふくしま」のHPにアップしていただきましたので、現場の様子がよくわかると思います。(flashもしくはmpegになっています)ライターの方も一緒に作業され、記事を書くのは休憩時間。きっとみんなと同じ気持ちだったのでしょうね。
◎動画はコチラ→ボランティアバス活動の様子~泥かき作業(いわき市)※以下の画面に遷移します↓
土嚢袋を持っているのは確か都内の幼稚園の先生だったかな? スコップで掻き出す汚泥は前日の雨を吸ってすごく重い・・・10kg程ほど詰めて交換していきます。
汚泥は海底のヘドロですから、腐敗していてすごい異臭です。雨が降ると重くなり、晴れると乾燥して不潔な飛沫となる・・・本当に厄介です。10名程度のチーム4つに人数を振り分け、協力して作業を進めましたが15分掻き続けると汗だくです。どうしても気合いが入りすぎてしまうので、落ち着いて腰を痛めないように、注意しないといけません。許された作業時間は9時〜15時ですので、お昼休憩を除くと正味5時間、私も含めて
もっとやらせて欲しい!というのが率直な気持ちでしたが、肉体労働に慣れていない人は、その時は良くても後でかなりの疲労が残るそうで妥当なセッティングであることが翌日解ることになります。私がペアで作業した都内の小学校の先生は今年始めて担任をもったと嬉しそうに話してくれました。爽やかに元気よく作業され、真剣な眼差ししで作業の様子を撮影していましたね、帰ったら生徒達に今日の経験を話すつもりなのでしょう、きっといい先生になるよ!
作業の合間に地元の方から
3月11日の恐ろしい体験を色々と教えていただきましたが、その中でも保育所が津波に飲み込まれたお話は衝撃的なものでした。以下の写真に
下神白保育所が写っていますが、ご覧の通り海の目の前にあります。地震の30分程後に、この保育所は完全に津波に押し流されました。当時多くの子供達と保育士の方がいらっしゃいましたが、保育士の方達が子供達を連れて必死に高台まで逃げ、助かったそうです。2〜5歳の子供を連れて逃げるのは大変困難だったはずです。保育士の皆さんの機転と行動に尊敬と感謝の念を禁じ得ません。。。
作業現場近くの
小名浜港周辺も通りましたが、言葉で言い表せない惨状です。何が起きたのかを目に焼き付けるばかりで、1枚の写真も撮ることができず。。。代わりに地元のインターネット放送局
いわきサンシャインTVさんが動画をUPしてくれていますまでご覧ください。見て来た様子はこの時とほぼ一緒の状況でした。
「瓦礫」という言葉があります。壊れた住居や建造物だったものです。コーディネーターの方は、この言葉を使うのに注意が必要だと言われていました。それらは元は人が住んでいた家・・・そして生活していた町の欠片。
ゴミなんてひとつもない全て思いの詰まったものなのですから。。。その言葉の通り、至るところで写真のような風景にでくわします。その中で子供のぬいぐるみを見つけた時は苦しかったけれど、絶対このま終わらせないという気持ちを新たにしました。
こちらは、
いわきマリンタワーです。このタワーがある
三崎公園というところでお昼を頂きました。若い方が多かったので、和気あいあいと、どんな仕事をしているのかとか、色々情報交換しながら。女性同士は連絡先を交換したりしながらこれからもお互いに頑張って行こうなんて話も・・・
こんな人との出会いもボランティアの魅力かもしれません。この公園は海に面したとても素晴らしいところでしたがやはり震災によりあちこちダメージがありました。対岸は臨海工業地帯、漁業の町にはもうひとつ顔もあります。
今回のボランティアバスは参加費千円でおにぎり弁当とお茶がついています。現地では調達しにくいので、とても助かりました。
お昼の休憩が終わって2時間程で作業終了。心配していた雨も降ることなく時間一杯作業できたのですが、
成果は驚く程小さいものです。私が掻き出せた範囲は1日掛かってせいぜい10m〜20mくらいのものでしょうか。広い東北の一部の福島、その中の小名浜のほんの、ほんの一部。。。達成感なんて冗談にもならない、公共の場所をちょっと掃除したに過ぎません。なぜ公共の場所からなのか?それは町がきれいになっていけば、住民の方が自宅の片付けと新しい生活をしていく意欲を後押しできるのではないかと思えるからです・・・。小名浜の個人宅は多くの地域でまだ、片付け始めた、復帰に向けて出発したばかりです。
GWにはボランティアの受付を限定するボランティアセンターが多かったのは事実です。でも、
ボランティアが足りているのかといったら、はっきりいって全然たりません。10万人いても全然足りません。ボランティアセンターを運営しているのは一部の社会福祉協議会方達と自身がボランティアの方達で、コーディネートが間に合わないだけです。人が多く集まれば、その居場所やトイレの確保、移動手段など様々な準備が必要になります。震災当初と違い、そういった事情も大分こなれて来ていますし、センター同士の連携も盛んになってきたためこのような問題もかなり解消されてきているでしょう。もう、やる事がないかも・・・と迷っている方がいれば、是非現地へ向かっていただければと思います。
(放射線の懸念から遅れていた福島のボランティアもかなり増えてきました)
それから、よく言われることですが、
ボランティアってニーズがあってはじめて成り立つ、つまり依頼があってそれを受けるものなのですね、ここでどうしてもアンマッチが発生します。需給バランスということですから仕方ありません。ただ・・・需要が少ないのではありません。私も含めて、みなさんはボランティアされたいでしょうか? 被災者の方も本当は他人に迷惑をかけたくないという思いがあるのではないでしょうか。できれば自分達の力で立ち上がり町を自宅を復旧させたいと思ってるのではないでしょうか。ボランティアが何をしてくれるのか、何を頼むことができるのかわからない方達もたくさんいます。だから、被災していない人が被災者を助けるということでなく、
自分自身の問題と思って一緒に闘っていく姿勢が伝われば、手に負えない程のニーズがいくらでもでてくるはずだと思っています。
もうひとつ、やはりコーディネーターの方の言葉ですが、ボランティアから帰り、自分でも気付かないうちに心に辛い気持ちを残してしまい苦しむ方もいるそうです。一緒に作業した方も、他の地域で今も活動されている方も、無理せず、友人や家族と優しい時間を持ち心を癒していただけるよう願って止みません。
最後に小名浜の海を見てください。太平洋の、
それは美しい海です。この海が生活を支えてくれ、そして多くの命を飲み込み大きな被害をもたらしました。この海を見ていると人間が自然の一部であること、ちっぽけな存在であることを感じさせられます。私達は豊かな自然の恵みがあるから生きてこられた、でも、人間は同時に自然を制御しようともしてきました。それを否定することができるでしょうか・・・科学技術の発達により、それまで助からなかった命が助かるようになったり、安全で安心な毎日が遅れるようになったのは紛れも無い事実なのです。原発の問題も含めて、私達はこれからどこに向って行けばいいのだろうか?
海を眺めながらじっと考えていました。
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